プロフィール

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こんにちは。

izumiです。

プロフィールページにお越しいただき、ありがとうございます!

どうしてやりたい音楽と目の前にある音楽が違くてずっと違和感を感じて、3回演奏することから離れた私が、やっとやりたい音楽にたどり着き音楽活動を再開していく過程を綴った音楽日記を公開しようと思ったのか、お話を聞いてください。

私は小さい頃からずっと、やりたい音楽と目の前にある音楽が違くて違和感を感じていました。

でも、どうしたらいいのかわからなかったんです。

なので、違和感を抱えながら、目の前にある音楽をやっていました。

そして3回、演奏することから離れました。

でもやっぱり音楽が大好きで、戻ってきました。

2回目に戻ってきた時にJAZZに出会い、始めて憧れたプレイヤーでもあり、初恋の人でもある方と再会しました。

そして彼から音楽を教えてもらえるようになったのに、私の中には『JAZZ以外の音楽が出来なくなっているのに、やりたい音楽と目の前のJAZZが一致していなくて、どうしたらいいのかわからない』という気持ちがありました。

他にも葛藤があり、またしばらく演奏することから離れることにしました。

そして自分自身と向き合いながらJAZZについて色々と調べていく中で、『私のやりたい音楽をギュっとひとつにまとめると、JAZZという音楽が浮かび上がってくる』ということに気付きました。

ドラゴンボールとシェンロンのようなイメージです(^^)

それに気付いた時に、初恋の人が以前言っていた言葉が気になり、『もしかしてやりたい音楽と目の前にある音楽が一致していなくてモヤっとしているのは、私だけじゃないのかも』と思ったんです。

だから、私のようにやりたい音楽と目の前の音楽が一致していなくて悩んでいる方がいらっしゃるなら、私が経験してきたこと、これから取り組んでいくことが何かのヒントになったらと思い、音楽日記を公開していくことにしました。

izumiの物語

赤ちゃんの頃、ラッパのおもちゃを吹くことと歌って踊る(お尻ふりふりダンス)ことが大好きでした。

シンデレラと白雪姫も大好きで、私も小鳥さんや動物たちとおしゃべりしたり、いつか王子さまと歌で会話できるものだと思っていました。

そして3歳の時に初めて聴いた生演奏(父が弾いた『ねこふんじゃった』)に衝撃を受けました。

音が、まるでピエロがカラフルなボールでジャグリングをするように見え、『私も音で自由に遊びたい!』と思い、4歳からピアノを習い始めました。

幼稚園で教わった曲を家に帰って人差し指一本で弾くと、それに母が簡単な左手(ドソミソ)をつけてくれました。

母と一緒にピアノを弾いていたこの時間が、私は大好きでした。

でもピアノ教室では、発表会以外はバイエルばかりで嫌になってしまい、どんどんピアノが嫌いになっていきました。

リコーダーなどの吹く楽器は好きだったのですが、ピアノという楽器を続けていくことに限界を感じて10歳でピアノをやめ、バトミントンばかりしていました。

その時私は、『一生音楽はやらない』と思いました。

少し時間をさかのぼって5歳の頃。

保険屋さんの持ってきてくださった資料の裏に、『魚座の人は〇〇な人で、運勢は・・・』と書いてあるのを見て(正確にはまだ字を読むことができなかったので、母に読んでもらいました)、『どうして初めて会うのに私のことを知っているんだろう?』と思いました。

そして9歳の頃、伝記を読むのにはまっていた時期がありました。

とは言っても、活字の並ぶ難しい本ではなく、時代背景がわかりやすいという理由で漫画の伝記を読んでいました。

同じ時代に生まれていても、国が違えば服装も環境も全然違っていて、同じ音楽家として生きていても、時代が違えば全然違う人生を送っていて。

さらに言えば、同じ家に生まれているのに、私と弟の好きなものは全然違うし、やっている事も全然違うということに気付き、『これ(私の人生)は、私が主人公の物語なんだ!』ということに気付きました。

そして、『私の人生という物語の続きを早く知りたい!』と思い、だんだんと人生の仕組みが知りたいと思うようになりました。

6年生の時にバトミントン部の部長をしていたので、中学生になってもバトミントンを続けるつもりでいました。

中学校に入って、たまたま前の席の子が小学校でトランペットを吹いていた子で、『一緒に吹奏楽部に見学に行こう?』と誘ってくれて、何気なく見学に行きました。

そしてそこで出会ってしまったんです。

オーボエに。

あんなに『もう一生音楽はやらない』と思っていたのに、オーボエを吹いていた”学校一キレイな先輩”に『一緒にオーボエやろう?』と誘っていただき、その場で吹奏楽部でオーボエを吹くことを決めました。

(その後の”オーボエ奏者の一生の悩み”と言われているリードの悩みからどうやって解放されたかについては、こちらのページをご覧ください。→OboeReedShopショップのご紹介と店長プロフィール

そして中学2年生になって初めて、義務教育が中学校で終わり、その後の進路は自由に選べることを知りました。

ちょうどその頃、初めてアフリカの音楽を聴いて感動しました。

そして『原点にある音楽がやりたい!中学を卒業したらアフリカに行って、音楽の勉強をしよう!』と思いました。

でも、というか案の定というか、母に1年間反対されました。(父には言えていなかったです)

2年生の終わりに、音楽の先生でもあり、吹奏楽部の顧問でもある先生が定年退職される際に、『中学を卒業したら俺のオケ(ジュニアオーケストラ)に来い。海外に連れて行ってやる』と言われ、『海外行けるなら、高校に進学してもいいかな?』と思い、高校へ進学することにしました。

そして高校に入り、学校では吹奏楽部、プライベートではジュニアオケに入り、アメリカン・スタイルとも出会いました。

でも、クラシックがあまり好きではなく、『(ポップスステージで演奏される)ビッグバンドの曲は楽しいのに、どうしてオーボエは全然目立たないの?』といつも思っていました。

それと、『バンドのボーカルになりたいのに、私にはオーボエがあるからどうしたらいいの?』とも思っていました。

そして2年生から3年生になる春休み、ジュニアオケでドイツへ演奏旅行へ行きまた。(その演奏旅行は私のために企画していただいていたにも関わらず、オーケストラが面白いと思えなかった私はいつも練習をサボっていました。ごめんなさい。)

ドイツへの演奏旅行では、言葉はよくわからないのに、演奏すれば伝えたいことが伝わることがわかり、すごく感動しました。

高校生の頃、私はお嫁さんになりたかったので、大学への進学は考えていなかったのですが、私は進学校に通っていたので、周りは頭のいい人ばかりで進学するのが当然の環境だったので、私も大学に進学しようとなんとなく思うようになりました。

でも、大学に行って学びたいことがわからなかったので、『自分のやりたい音楽を見つけるために大学に行こう!』と思い、進学しました。

オーボエで大学に入ったのですが、アメリカン・スタイルのために2ヶ月で破門と言われました。

でも、それがきっかけで世界のトッププレイヤーの方々と出会い、教えていただける環境ができました。

私の通っていた大学では、音楽専攻生は毎年サントリーホールで第九を歌うことができました。

1年生で初めてサントリーホールで第九を歌ったとき、あの有名なフレーズに入った瞬間に目の前が真っ白になり、そこには歌しかなく、とても幸せなひと時でした。

でも、そのフレーズが終わると同時に現実世界に引き戻されました。

そのとき私は、『この場所(目の前が真っ白になり、そこには歌しかなく、とても幸せなひと時だったところ)で音楽がしたい!』と思いました。

2年生以降は、オーボエは学校の外で学び、学校では作曲やアートセラピーを学びました。

作曲の先生も私の事情を理解してくださり、『オーボエで吹きたいと思う曲を書きなさい』と言っていただき、私は和音をイメージしながらオーボエを吹くと、Bluesのような音楽がいつも出てきました。(ちゃんとBluesを聴いたことがなかったので、なんとなくのイメージだったのですが)

それとアートセラピーの授業では、『五感を癒す空間作り』を考えて発表したのですが、それがすごく楽しくて、『五感を癒す空間を作って、その中で癒しの音楽を演奏していこう!』と思いました。

『本当の癒しってなんだろう?』と思っていたら、人生最大の試練が訪れ、演奏することができなくなりました。

そして、癒しについての探求が始まりました。

その日々の中で、『いつかまた演奏できるようになったら、JAZZをやろう』と思いました。(当時の私は、JAZZもクラシックのように譜面を吹くだけの音楽だと思っていました)

少しずつ演奏することを再開し始めたある日、オーボエの神様と呼ばれている方の呼吸法を教わりました。

その呼吸法で演奏した時、吹いている私のカラダさえも外側に感じ、聴いてくださっている方々がみんな鳥肌が立ったとおっしゃっていました。

それは、極めてゾーンに近いトランスで、ある種のサマディでした。(脳科学にも詳しい日本のトップのヨガティーチャーであり瞑想家の方にこの感覚が何かを教えていただきました)

そして私は、『ここ(極めてゾーンに近いトランスで、ある種のサマディ)で音楽がしたい!』と思い、オーボエの神様と呼ばれている方から教わった呼吸法について探求し始めました。

そしてしばらくして実際にJAZZに出会い、その日からプロの方々のステージで演奏させていただきました。

その中で私が人生を通してやりたいことは、『溢れ出てくる音楽で、世界中をHAPPYにする』ことだと気付きました。

でも、JAZZに出会ってからたくさんの方がたくさんのことを教えてくださったのですが、全くJAZZが出来ませんでした。

そんな状態でライブに出させていただくのがいたたまれなくなり、また演奏することから離れ、私が本当にやりたい音楽と私の知りたかった音楽の基礎についての探求が始まりました。

そして私自身が癒され、辿り着いたのは、『私のやりたい音楽をギュっとひとつにまとめると、JAZZという音楽が浮かび上がってくる』ということでした。

ドラゴンボールとシェンロンのようなイメージです(^^)

ドラゴンボールは7つ集めるとシェンロンが出てきますが、まさに私のやりたい音楽も7つ!

ここまで赤字で書いてきたものがそれです。

  1. 歌って踊る
  2. 歌で会話する
  3. 音で自由に遊ぶ
  4. オーボエ
  5. アフリカの音楽
  6. バンドのボーカル
  7. 癒しの音楽

これらをギュッとひとつにまとめると、私のやりたいJAZZという音楽が浮かび上がってくるんです。

JAZZの定義は人それぞれで、正しいも間違いもないと思っています。

私がやりたいのは、これら7つをギュッとひとつにまとめた音楽で、私はそれを”私のJAZZ”だと思っています。

そして、ここまで書いてきた青字をまとめると、

  1. 自分は自分の人生という物語の主人公
  2. 人生の仕組み
  3. 原点にある音楽
  4. 五感を癒す空間作り
  5. トランスやサマディでの音楽

となります。

これらのことは、私の人生と音楽にとって切っても切り離せないものです。

さらにを足したの『溢れ出てくる音楽で、世界中をHAPPYにする』が、本当の意味での私のやりたい音楽になります。

そして面白いことに、自分のやりたい音楽と目の前の音楽を一致させることをしてきたら、本当に大好きだと思える人に気付きました。

この辺りのお話も面白いので、していけたらと思っています♡

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

私がやりたい音楽を実現していく過程を綴ったこの音楽日記が、あなたの音楽の何かヒントになれたら嬉しいです。

izumi

4歳よりピアノを学び、12歳よりオーボエを始める。

やりたい音楽を見つけるために大学にオーボエで入学するも、自身のアメリカン・スタイルを貫くためにオーボエ専攻を1年で辞め、在学中は『五感を癒す空間作り』を志し、作曲とアート・セラピーを学び、オーボエは世界的なプレイヤーたちのマスタークラス等で学ぶ。

卒業後は空間作りを学ぶため、インテリア・デザイナーのアシスタントとして各地のホテルや結婚式場などへ向けたインテリアや家具、ディスプレイ雑貨の製作に携わる。

“オーボエ奏者の一生の悩み”と言われているリードの悩みから解放され、もっと自由に、もっと楽しくオーボエを吹ける人が増えたらという思いから、『オーボエリード通信販売専門ショップ ーイズミクリエイションー』を始め、オリジナルのオーボエグッズ等を製作・販売中。

また、自身のやりたい音楽と目の前にある音楽が違うことに幼い頃から違和感があり、自身の音楽について探求を重ねていく中で、違和感があるのは自分だけではないということに気付き、やりたい音楽にたどり着き、音楽活動を再開していく過程を綴った音楽日記溢れ出てくる音楽で、世界中をHAPPYに』を更新中。

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