第05話|されどリード──私の音が動き出した日

音楽を続けたいけれど

どこか 何かが違う気がしていた

本当にやりたい音楽を 見つけたかった

そんな想いを胸に

私は オーボエで大学に進学しました

クラシックは やりたくない

だけど

オーボエは 続けたい

家から近くて

共学で

音楽以外を学んでいる学生の方が多くて

どこか 音大とは違う空気をまとったその大学は──

アメリカン・スタイルでもいいと言ってくれたこともあり

私にとって とてもありがたい存在でした

ここなら きっと

本当にやりたい音楽が 見つかる──

そう思って 入学したのです

──

入学してすぐ なぜか

先輩たちに

「癒し系オーボエ吹き」

と呼ばれたことがありました

なんでだろう? と

“癒し”という言葉が なぜか心に残ったのを覚えています

──

そのころ もうひとつ

忘れられないできごとがありました

好奇心から 大学の先生が作った

ジャーマン・スタイルのリードを吹いてみた瞬間──

やっぱり私は アメリカン・スタイルがいい

そう はっきり思いました

そしてアメリカン・スタイルに戻したところ──

「アメリカンに戻すなら破門だ」

と言われたのです

当時の環境を思えば

それも 自然な反応だったのかもしれません

私自身も

「アメリカンは いじめられる」と

事前に聞いていたことがあったので──

なるほど きたか──

と思ったのを 覚えています

──

すぐに高校から習っていた先生に相談すると

「世界の一流奏者たちは スタイルにこだわらない

 会ってきなさい

 それから 学校では作曲を勉強しなさい」

と言われました

その言葉に背中を押されて

世界の一流オーボエ奏者たちのマスタークラスなどを受けるようになりました

──

そこで出会った音は

今まで聴いたことのない キラキラしたオーボエの音

目の前に 新しい世界が

パッと 開けていくようでした

そして 1年生の終わりには

専攻を辞めることを決めました

──オーボエを 手放したわけではありません

自分のスタイルを 大切にしたかったのです

作曲の先生も 私の事情を汲み取ってくださり──

「オーボエで吹きたいと思う曲を書きなさい」

──そう言って 受け入れてくれました

──

そんな1年生のころ

もうひとつ 印象的なできごとがありました

音楽専攻生だけが参加できる

サントリーホールで「第九」を歌う機会

あの有名なフレーズが始まると同時に

私は 真っ白な世界に包まれていて──

そこには ただ「歌」だけがありました

すべてがあたたかくて

ただ 安心してそこにいられる──

そんな不思議な感覚

あの瞬間

「ここで音楽をしたい」と思ったのです

──

2年生になり 作曲の課題でモチーフを作るとき

和音の響きを 体の中に入れて

オーボエを吹いてみると──

ブルースのような音楽が 湧き出てきて

それが とても面白くて 楽しかった

特に 海に行ったあとは

音楽が 泉のようにあふれてきて──

理由もわからず ただおもしろかった

けれど──

ブルースのような音が湧き出てきていたのに

左手は「ドソミソ」しか弾けず

だんだん 自分の音楽が

ピアノの弾ける範囲に合わせるようになってしまって──

先生にも「モーツァルトみたい」と言われていたのですが

なぜか先生に相談もできず

また 行き止まりを感じてしまったのです

──

ちょうどそのころ──

アメリカの伝説的オーボエ奏者が

来日し

公開レッスンが開かれました

たった10人だけが選ばれていたそのレッスンに

なぜか 私の名前も入っていたのです

──

先生とは 私の家で飼い始めた犬の話ばかりしていたからか

犬の名前「タケ」をすっかり覚えていて

母にも “ママ” と呼びながら

「タケが〜」と 話していたそうです

写真を撮るときには

私の肩をしっかり掴んでいて

離してくれず

なぜか私は みんなの記念写真の中心に写っていました

最後のパーティーでのお別れのときに

「孫娘」と言って

そっと抱きしめて

頬にキスをしてくれました

──

いつもビリー・ホリデーを聴きながら

リードを削っていたというその先生と

音楽のことを語り合ったわけではないけれど

何かが 音を通さずとも

響き合っていたのかもしれません

それが ただの偶然だったのか

ある種の即興だったのかは わかりません

でも 今でもふと

あの時間を思い出すとき

あたたかいものが

胸の奥に そっと響いています

*次回|第6話へつづく*

問い編の記事はこちら

→ 泉にふれる問い

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→ 音楽迷子の記憶

現在編の記事はこちら

→ JAZZ OBOEの旅の途中

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この記事を書いた人

音楽迷子を経て──
自分らしさに還る旅の途中

湧き出てくる音楽と
五感を癒す空間を感じながら

JAZZを学び
リードのまわりの小物たちをつくる日々

音と暮らしの中に
私だけのリズムを見つけていく旅

これは
JAZZとリードと
私の“泉”の記録です