ずっと 私のやりたい音楽は JAZZ だと思っていました
自分の奥底にある
けれど そのとき目の前にあった JAZZと
ほんとうにやりたい “癒しの音楽” は
まだ どこか ひとつにはなっていなかったのです
──
だから私は
もう一度 音楽の扉を そっと閉じて
JAZZの歴史を 学びはじめました
そしてなぜか JAZZのルーツをだどることになり
気づけば 自分自身のルーツをたどる旅にもなっていました
何年もかけて
たくさん調べ 考え 感じて
少しずつ 言葉にできるようになっていったのです
──
ファラオ・サンダースの BLUES に出会った日
最初はフリージャズで まったく意味がわからず
会場を出ようかと思ったほどでした
でも もう一曲だけ
聴いてみることにしたのです
すると 少しだけ 音が身体に入ってきて
もう一曲──と思った頃に 演奏されたのが BLUESでした
ステージの上で
77歳のファラオ・サンダースが
歌い 踊り 吹いている姿を見て
かっこいい と思いました
小さい頃 可愛い格好で歌って踊る
アイドルに憧れていたから
そう思ったのだと思いました
それから私は
「BLUESを知りたい」と思って
ワークショップの先生に そう伝えたことがありました
すると 先生は こう言ったのです
「泉ちゃんの知りたいBLUESは──
僕には教えられない」
それを聞いて 私は ひとりで調べはじめました
でも どこに行けばBLUESを学べるのか わかりませんでした
そんなとき ふと知ったのです
ゴスペルとタップは
BLUESと まるで兄弟のような音楽だということを
どうしても 知りたくなって
習いに行くことにしました
それと同時に
JAZZが生まれた背景にある
長い歴史をたどっていきました
そして 気づいたのです
目の前にある 音楽の本当の姿は
究極の癒しの音楽だったのだと

そのとき 感覚で
リズム=カラダ
音=ココロ
だと思いました
でも
ココロとカラダが
まだ 仲良くなれていない気がして──
さらに 自分自身と向き合い
人生を振り返っていくなかで
私の中に 散りばめられていた
“ほんとうにやりたい音楽” のカケラたちを
ひとつにギュッとすると
そこに浮かび上がってきたのは
やはり JAZZ でした
まるで
ドラゴンボールを7つ集めて
シェンロンを呼び出すように──
私は勝手にこれを“シェン論”と呼んでいます
そして
私の人生を何度も振り返っているときに
私は ふと気づきました
私の人生には
「人生=音楽=パートナー」
という方程式があることに
「大好きな人と、大好きな音楽をすること」
それこそが 小さい頃に夢見た
私がこの人生でいちばんやりたいこと
そのために必要なのが
“五感を癒す空間づくり” と
“湧き出てくる音楽で、世界中をHAPPYに” でした
──
自然と調和し 命を大切にする
古くから日本に伝わる暮らしにふれていくうちに
ココロとカラダが癒されて
私の中から 自然とうたが湧き出てくるようになったのです
私はこのうたを
“命の喜びのうた” と呼んでいます
そして あるとき気づきました
こうして自然に音が湧き出てくる瞬間こそが
私にとっての「五感を癒す空間」なのだと
それは
音楽のためにある空間ではなく
“私という命が よろこぶ空間”
そんな空間から また新しい音が生まれていく
その循環こそが
今の私の音楽なのだと思います
──
私はこのうたが
何よりも大好きだし
私の知りたかったBLUESは
きっと これだったのです
命の躍動──
命のよろこびのうた──
私にとってはピンクのBLUES
みんなそれぞれ違う色のBLUES──
