第11話|癒しの音楽とJAZZが ひとつになった日── 命のうた、BLUESが教えてくれたこと

ずっと 私のやりたい音楽は JAZZ だと思っていました

自分の奥底にある

けれど そのとき目の前にあった JAZZと

ほんとうにやりたい “癒しの音楽” は

まだ どこか ひとつにはなっていなかったのです

──

だから私は

もう一度 音楽の扉を そっと閉じて

JAZZの歴史を 学びはじめました

そしてなぜか JAZZのルーツをだどることになり

気づけば 自分自身のルーツをたどる旅にもなっていました

何年もかけて

たくさん調べ 考え 感じて

少しずつ 言葉にできるようになっていったのです

──

ファラオ・サンダースの BLUES に出会った日

最初はフリージャズで まったく意味がわからず

会場を出ようかと思ったほどでした

でも もう一曲だけ

聴いてみることにしたのです

すると 少しだけ 音が身体に入ってきて

もう一曲──と思った頃に 演奏されたのが BLUESでした

ステージの上で

77歳のファラオ・サンダースが

歌い 踊り 吹いている姿を見て

かっこいい と思いました

小さい頃 可愛い格好で歌って踊る

アイドルに憧れていたから

そう思ったのだと思いました

それから私は

「BLUESを知りたい」と思って

ワークショップの先生に そう伝えたことがありました

すると 先生は こう言ったのです

「泉ちゃんの知りたいBLUESは──

僕には教えられない」

それを聞いて 私は ひとりで調べはじめました

でも どこに行けばBLUESを学べるのか わかりませんでした

そんなとき ふと知ったのです

ゴスペルとタップは

BLUESと まるで兄弟のような音楽だということを

どうしても 知りたくなって

習いに行くことにしました

それと同時に

JAZZが生まれた背景にある

長い歴史をたどっていきました

そして 気づいたのです

目の前にある 音楽の本当の姿は

究極の癒しの音楽だったのだと

そのとき 感覚で

リズム=カラダ

音=ココロ

だと思いました

でも

ココロとカラダが

まだ 仲良くなれていない気がして──

さらに 自分自身と向き合い

人生を振り返っていくなかで

私の中に 散りばめられていた

“ほんとうにやりたい音楽” のカケラたちを

ひとつにギュッとすると

そこに浮かび上がってきたのは

やはり JAZZ でした

まるで

ドラゴンボールを7つ集めて

シェンロンを呼び出すように──

私は勝手にこれを“シェン論”と呼んでいます

そして

私の人生を何度も振り返っているときに

私は ふと気づきました

私の人生には

「人生=音楽=パートナー」

という方程式があることに

「大好きな人と、大好きな音楽をすること」

それこそが 小さい頃に夢見た

私がこの人生でいちばんやりたいこと

そのために必要なのが

“五感を癒す空間づくり” と

“湧き出てくる音楽で、世界中をHAPPYに” でした

──

自然と調和し 命を大切にする

古くから日本に伝わる暮らしにふれていくうちに

ココロとカラダが癒されて

私の中から 自然とうたが湧き出てくるようになったのです

私はこのうたを

“命の喜びのうた” と呼んでいます

そして あるとき気づきました

こうして自然に音が湧き出てくる瞬間こそが

私にとっての「五感を癒す空間」なのだと

それは

音楽のためにある空間ではなく

“私という命が よろこぶ空間”

そんな空間から また新しい音が生まれていく

その循環こそが

今の私の音楽なのだと思います

──

私はこのうたが

何よりも大好きだし

私の知りたかったBLUESは

きっと これだったのです

命の躍動──

命のよろこびのうた──

私にとってはピンクのBLUES

みんなそれぞれ違う色のBLUES──

*次回|第12話へつづく*

問い編の記事はこちら

→ 泉にふれる問い

過去編の記事はこちら

→ 音楽迷子の記憶

現在編の記事はこちら

→ JAZZ OBOEの旅の途中

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

この記事を書いた人

音楽迷子を経て──
自分らしさに還る旅の途中

湧き出てくる音楽と
五感を癒す空間を感じながら

JAZZを学び
リードのまわりの小物たちをつくる日々

音と暮らしの中に
私だけのリズムを見つけていく旅

これは
JAZZとリードと
私の“泉”の記録です