第10話|忘れていた泉が目を覚ました日──音が湧き出すとき、泉がひらく

そんなある日

ふとした流れで

JAZZのワークショップに 参加しました

教えてくれた先生は

今まで聴いたことのない

不思議で 美しい音を奏でる

JAZZピアニストの方でした

先生がコードを弾いてくれて

「何が見えたか書いてみて」と言われたとき

私には この世のものとは思えないほど

美しい景色が 見えていました

そして

先生の言葉が 私の中に 響きました

──初めて音楽をやりたいと思った時の気持ちを

大切にするんだよ──

その瞬間

私は 思い出していました

「私も 音で自由に遊べるようになりたい」──

そう願った あの日のことを

──

そしてそのワークショップで

私は 人生で初めて

アドリブをすることになりました

発表会直前まで

ルートの音を ロングトーンするしかできなかった私が

ふと 作曲を学んでいた頃の

あの感覚を そっと胸の奥から 引き出してきて──

音を 体に入れて

オーボエを 手にして

音が出てくるのを ただ 待ちました

こちらから出そうとしなくても

選ぼうとしなくても

まるで

忘れていた泉が ふと目を覚まし

音となって あらわれてくれたような

そんな 一瞬でした

演奏が終わったあと

先生から

「あなたの純粋さが

あなたを どこへ連れていくのでしょう」

とコメントをいただきました

──純粋って、なに?

その言葉は

胸の奥に 静かに 残りました

その体験のあと──

ワークショップで教えていただいた

耳には聴こえない アフリカのリズムを

体の奥で 感じとれるようになっていきました

音楽を聴いていると

首が 勝手に 揺れはじめる

その感覚が 私は 大好きで

それを感じたくて ライブに通っていた時期もありました

──

それから私は

JAZZという音楽が

“純粋な私”でなければ

やらせてもらえない音楽だと 感じるようになりました

──神さまみたいな音楽──

それはつまり

自分をごまかせない

ということでもありました

──

けれど私は まだ

目の前の音楽と

自分の本当にやりたい音楽とのあいだに

どこか

ズレを感じていました

オーボエを吹く怖さを

まだ克服できずに

気づけばまた

音楽の扉を そっと閉じて

音は 出なくなっていました

──

それでも

消えなかったものがありました

心のいちばん奥の

泉の底から かすかに聞こえてくる

あの音だけは──

私はまた

気づけば 枯れていた泉のそばに

静かに 腰を下ろしていました

*次回|第11話へつづく*

問い編の記事はこちら

→ 泉にふれる問い

過去編の記事はこちら

→ 音楽迷子の記憶

現在編の記事はこちら

→ JAZZ OBOEの旅の途中

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この記事を書いた人

音楽迷子を経て──
自分らしさに還る旅の途中

湧き出てくる音楽と
五感を癒す空間を感じながら

JAZZを学び
リードのまわりの小物たちをつくる日々

音と暮らしの中に
私だけのリズムを見つけていく旅

これは
JAZZとリードと
私の“泉”の記録です