高校に進学してすぐ
私は 迷わず吹奏楽部に入りました
中学からオーボエを吹き
オーケストラにも所属していた私は
オーボエを吹くこと以外 考えられませんでした
入部届には
第一希望 オーボエ
それしか書かずに提出したら
外部から来ていた怖い顔の指揮者の先生に
「何でもいいから吹きなさい」
と言われました
「何を吹いたらいいですか?」
と聞くと先生は
「何でもいいから吹きなさい」
と もう一度 同じように言いました
それで私は
オーケストラで練習していた
アルルの女と威風堂々を吹いたら
先生は 何も言わずに
怖い顔のまま 行ってしまいました
なんだったんだろう?
と思っていたら
部長に呼ばれて
「先生の知り合いの先生のところに、習いに行くようにって言ってたよ」
そうして 私は
アメリカン・スタイルのオーボエと出会いました
──
私は 初めてのレッスンから
アメリカン・スタイルのリードを
吹いていたわけではありませんでした
それまで使っていたのは
楽器屋さんで購入した ジャーマン・スタイルのリード
先生は それに合わせて
特別に ジャーマン・スタイルで作ってくれていたのです
すごく緊張していたので
レッスンの内容は あまり覚えていません
ただ──
先生の机の上に
見たことのない道具や
たくさんのリードの材料があった光景だけは
今でも はっきりと覚えています
──リードって、自分で作れるんだ
それが 私にとって一番の驚きでした
良いリードで吹くだけで
上手になれる気がしていた私は
「月3回レッスンに通うと
リード1本プレゼント」と聞いて
しばらくの間 それを目当てに 通っていました

そうして レッスンに通いながら
私も アメリカン・スタイルリードを
吹いてみたいと思うようになり
やがて 吹き始めるようになりました
──
当時の日本では
ジャーマン・スタイルのオーボエが主流で
アメリカン・スタイルを吹いている人なんて
ほとんど いませんでした
だから私は 知らないうちに
少しずつ 王道から はずれていたのかもしれません
でも そのときは ただ
自分の中に響く 音の違いに
導かれるように 歩いていただけでした
あるとき ふと 気づいたのです
考えて選んだことよりも
直感で選んだ方向のほうが
なぜか すべてがスムーズに運ぶ
私の人生は
そんな“直感”に導かれてきた気がします
だから私は
「感じること」を信じてみようと思いました
でも──
気づけばまた 頭で考えてしまって
あの感覚を 見失ってしまうことも ありました
それでもやっぱり──
あのとき 心で“なんとなく”感じた音を信じて
選び取ったリードと向き合い続けた時間が
私の「音」を 少しずつ
確かなものに変えていってくれたのです
最初はただの好奇心でした
でも だんだんと
その音に 惹かれ
気づいたら こっちを選んでいた
後になって
あのとき感じていた “なんとなく”が
じつは とても大切なサインだったのかもしれない
──たかがリード されどリード
気がつけば 私は
誰とも違う 自分だけの「音の世界」に
少しずつ 足を踏み入れていました
まだ 名前すらなかったその世界は
高校時代 友人に
「izumiworld」と呼ばれていました
自由な校風で 私服の学校だったからか
どうして そう呼ばれていたのかは
はっきりとは わかりません
でもきっと──
無意識に選んでいたものたちが
少しずつ 私の「音」になっていったのかもしれません
その音に 心を惹かれ
無意識に選んでいた その選択が
思いもよらぬところで
音楽の景色を
静かに 塗り替えていくことになるとは
このときの私は まだ 気づいていませんでした
