第03話|たかが、リード──そして “私の音”が動き出した

高校に進学してすぐ

私は 迷わず吹奏楽部に入りました

中学からオーボエを吹き

オーケストラにも所属していた私は

オーボエを吹くこと以外 考えられませんでした

入部届には

第一希望 オーボエ

それしか書かずに提出したら

外部から来ていた怖い顔の指揮者の先生に

「何でもいいから吹きなさい」

と言われました

「何を吹いたらいいですか?」

と聞くと先生は

「何でもいいから吹きなさい」

と もう一度 同じように言いました

それで私は

オーケストラで練習していた

アルルの女と威風堂々を吹いたら

先生は 何も言わずに

怖い顔のまま 行ってしまいました

なんだったんだろう?

と思っていたら

部長に呼ばれて

「先生の知り合いの先生のところに、習いに行くようにって言ってたよ」

そうして 私は

アメリカン・スタイルのオーボエと出会いました

──

私は 初めてのレッスンから

アメリカン・スタイルのリードを

吹いていたわけではありませんでした

それまで使っていたのは

楽器屋さんで購入した ジャーマン・スタイルのリード

先生は それに合わせて

特別に ジャーマン・スタイルで作ってくれていたのです

すごく緊張していたので

レッスンの内容は あまり覚えていません

ただ──

先生の机の上に

見たことのない道具や

たくさんのリードの材料があった光景だけは

今でも はっきりと覚えています

──リードって、自分で作れるんだ

それが 私にとって一番の驚きでした

良いリードで吹くだけで

上手になれる気がしていた私は

「月3回レッスンに通うと

リード1本プレゼント」と聞いて

しばらくの間 それを目当てに 通っていました

そうして レッスンに通いながら

私も アメリカン・スタイルリードを

吹いてみたいと思うようになり

やがて 吹き始めるようになりました

──

当時の日本では

ジャーマン・スタイルのオーボエが主流で

アメリカン・スタイルを吹いている人なんて

ほとんど いませんでした

だから私は 知らないうちに

少しずつ 王道から はずれていたのかもしれません

でも そのときは ただ

自分の中に響く 音の違いに

導かれるように 歩いていただけでした

あるとき ふと 気づいたのです

考えて選んだことよりも

直感で選んだ方向のほうが

なぜか すべてがスムーズに運ぶ

私の人生は

そんな“直感”に導かれてきた気がします

だから私は

「感じること」を信じてみようと思いました

でも──

気づけばまた 頭で考えてしまって

あの感覚を 見失ってしまうことも ありました

それでもやっぱり──

あのとき 心で“なんとなく”感じた音を信じて

選び取ったリードと向き合い続けた時間が

私の「音」を 少しずつ

確かなものに変えていってくれたのです

最初はただの好奇心でした

でも だんだんと

その音に 惹かれ

気づいたら こっちを選んでいた

後になって

あのとき感じていた “なんとなく”が

じつは とても大切なサインだったのかもしれない

──たかがリード されどリード

気がつけば 私は

誰とも違う 自分だけの「音の世界」に

少しずつ 足を踏み入れていました

まだ 名前すらなかったその世界は

高校時代 友人に

「izumiworld」と呼ばれていました

自由な校風で 私服の学校だったからか

どうして そう呼ばれていたのかは

はっきりとは わかりません

でもきっと──

無意識に選んでいたものたちが

少しずつ 私の「音」になっていったのかもしれません

その音に 心を惹かれ

無意識に選んでいた その選択が

思いもよらぬところで

音楽の景色を

静かに 塗り替えていくことになるとは

このときの私は まだ 気づいていませんでした

*次回|第4話へつづく*

問い編の記事はこちら

→ 泉にふれる問い

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→ 音楽迷子の記憶

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→ JAZZ OBOEの旅の途中

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この記事を書いた人

音楽迷子を経て──
自分らしさに還る旅の途中

湧き出てくる音楽と
五感を癒す空間を感じながら

JAZZを学び
リードのまわりの小物たちをつくる日々

音と暮らしの中に
私だけのリズムを見つけていく旅

これは
JAZZとリードと
私の“泉”の記録です